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熱意の在り処。

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昔は加湿の効果もあるからといって、ストーブにやかんをのせていたのは今では懐かしい出来事のひとつで。

それから時代はめぐりめぐって、家庭用暖房器具もエアコンやヒーターが主流となりました。

やかんに触れてしまいやけどをしてしまうような心配も、今ではありません。

今の若い人たちはほとんど知らないと思いますが、ストーブの上で沸騰しているやかんは尋常じゃないほどの熱を帯びていて……これ、やけどしてしまうんじゃなかろうかと思うほど、洒落にならないくらい熱いわけですが。

そういえば、ストーブの上でお餅なんかも焼いたりして、おでんとかも……懐かしさを感じます。

ストーブには、ほどよい暖かさを感じるためのちょどいい距離感というものがあって、逆に近寄りすぎてしまうとやけどをしてしまうほど熱くなってしまうなど、ストーブはストーブでいろいろ取り扱いが難しいところがあります。

 

 

 

 

人間には自我があるぶん、それ以上の難しさがありますけど。

じゃ、人間が沸騰する瞬間はどんなときなのかを考えたときに、イライラする瞬間は怒りの感情だと思うので。熱意の在り処としてはなにか違うものなのかなー、と思うところもあって。

そもそも熱意ってなんだよって話ですが、コトバンクによると『物事に対する意気込み。熱心な気持ち。「熱意がこもる」「仕事に対する熱意を買う」』といった内容みたいです。

意気込み、熱心、熱意……。なるほどなと思いつつ、自分のなかにはあるのかと考えてもどこにも見当たらず。

そりゃそうですよね。だって、熱心になるほど物事に没頭できていないことを自覚していますので。

ご飯を食べ忘れてしまうほど、お風呂に入り忘れてしまうほど、寝ることさえ忘れてしまうほど物事に没頭できる、むしろそんな余裕は今の私にはないと思っています。

だってそこはやっぱり、健康的な問題や家庭的な問題とかも考えてしまいますし。

そんなことが昔にあったかというと、実は人生で一度経験をしたことがあります。

 

 

 

 

あれはちょうど20代の頃に、ご飯を食べるのも面倒くさい、毎日の身だしなみを整えるのも面倒くさい、とにかくPCで仕事をしていたい気持ちが強すぎて、時間というものを忘れてしまい寝不足になることもしょっちゅうありました。

そのときは、没頭という言葉の意味を心から理解した瞬間でもありました。楽しいとかの次元を超えているというか、いつまでもやっていたいそんな気持ちの感覚です。

そのことを思い出して考えてみると、やっぱり熱意ってものは意識して出てくるものではなくて、なにかしらの行動をしていると自然と滲み出てくるものだと思います。

努力したからといって熱意はつくられるものではないと思います。どれほど物事に対して深く向き合うことができているか。

変な話、人並み以上の行動が自然体にやれている人は、熱意をもっている人間なのかなと思います。

熱意というのは客観的に見て判断されるものだと思います。自分は努力して頑張っているんだと思っている間は、そこに熱意というのは存在しないものなのかなと、そんなふうに思います。

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